昭和の中頃になると、新しい技術をとりいれ、地下水をくみ上げて水を貯めるようになり、約300年続いた寺田用水は使われなくなりました。

てらだいけ     こんじゃく  ふうけい
寺田池 今昔の風景

周辺では、多くの池が埋め立てられ姿を消しました。
寺田池も昭和49年、55年に一部を埋め立てられ、学校に姿を変えています。

明治36年の工事によって、寺田池の上流側に位置する寺田地域で排水が悪くなるという問題が起こり、寺田池をもつ新在家村との間にたびたび争いが起こるようになってしまいました。
しかし、大正8年、両地域の協力で工事を行い、長く続いた排水問題を解決しました。

大正 たいしょう
 明治36年、堤防を高くする工事が行われました。
水田がますます増えたため、より多くの水を貯められるように工事が行われました。

寺田池は、平安時代の892年ごろに築造されたと考えられています。
このころ、寛平池と呼ばれていたようです。
また、今よりもかなり小さく、周辺からの雨水などを集めていたと思われます。

平安 へいあん

寺田池の歴史、エピソードなど「豆知識」をご紹介いたします。

現在 げんざい
明治 めいじ
昭和 しょうわ